アレクサンダー3年目になりました
こんにちは。さらです!
昨日で、私のBodyChanceでのトレーニー生活2年目がおわりました。
基本的なことを学ぶ第1段階があと1年。
来年の今日からはアレクサンダー・テクニークを教える練習が始まります。
確認したところ、私がアレクサンダーの先生になりたい と思ったのは2015年8月24日だったようです。
ATとの出会いは更にその1年前、当時トレーニーだった嶋村順子さんのWSに参加した時です。
それから1年、なんとなくずっと頭の片隅でATのことは気になっていて、
とりあえずなんかもう一度やってみたい!と、順子さんに個人レッスンを受けに行きました。
(何の望みもなしに行くなんて、今となってはおそろしい!w)
そのレッスンで私が体験したことや得た感覚は色々ありましたが
レッスンからの帰り道、駅に向かう途中でふっと
「私、これの先生になりたいかも…」という言葉が降って湧いたのをよく覚えています。
と同時に、「ああいう、人との距離感で生きたい」とも思っていました。
これは私の持論なんですが
「ひらめき」とか「直感」みたいなものの多くは「経験に基づいて脳が理解をショートカットしてくれている」ものです。
その時私が直感した「人との距離感」というのが、
順子さんの人となりに基づくもの(だけ)ではなくアレクサンダー・テクニークを学んだ人のものだと
どうしてその瞬間に思ったかは今も分からないのですが
結果的に私の予測は当たっていたと今は割と確信に近く思っています。
小さい頃から私は、人の表情や放っている空気に敏感な方で
又、認知や思考の傾向がちょっと一般的なそれとはちがっている部分があり、
人の持つ雰囲気と言動の関係についてのデータベースがけっこう多くて細かく分類されていると自分では理解しています。
で、「この距離感は過去のデータにはない!ものすごくいい塩梅!」と感じたんですね。
甘えるでも甘やかすでも媚びるでもなく、厳しいわけでも突き放すわけでもなく、
客観的すぎて冷たいわけでも、主観的すぎて感情的なわけでもなく。
全部認められてるのに気持ち悪くない!みたいな。
アレクサンダー・テクニークを学ぶ中で、自分自身でいること、自分のところにかえってくること、まず自分の面倒をみることなんかを習慣にしていくのですが
そうやってほんとうに「自立」していると、私の感じた独特の距離感で人との関係を持つことができるんだと思います。
なぜそう言えるかというと、
BodyChanceの先生がみんな、個性や性格なんかが異なるのにみなさんその距離感について根幹で同じものが感じられるから。
あと、トレーニー仲間たちが「自立」していく過程をこの目で見ているから。
私の感覚なので、説明しがたいのですがとにかく
あの瞬間の私のセンサーは、個として自立することを選び取りたい、と言ったんだと思います。
その先で人生がものすごく変わると、予測したんだと思います。
言葉になっていなかっただけでそのように思っていたから、BodyChanceに通うかどうかの相談をした知人のひとりに
「学ぶことと、教えられるようになることは別だよ。でも、君の生き方や周りの人との接し方は変わると思うよ」
と言われたのかな、と。
私のその時の説明の言葉や空気に、そういう予感のかけらが埋まっていたのかもしれないなーと、今日そんな風に想像しました。
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