理解の道筋は花粉症に似てる?
こんにちは!さらです。
突然ですがみなさんは花粉症の症状はお持ちだったりしますか?
私は生後3ヶ月からアトピーでアレルギーもいくつかあって、花粉症とは長い付き合いなのですが
何かを理解する・自分のものになる瞬間って、花粉症を発症することとイメージが似ているなぁと思っています。
(あんまりいいイメージじゃないですかね…苦笑)
花粉症になる人とならない人の例えでよく
「人それぞれサイズの違うコップを持っていて、そこに少しずつ水がたまっていく。
それがあふれると花粉症になるんだけど、人によって容器のサイズが違うから、同じ環境にいてもなる人とならない人がいる」
みたいな説明がされると思います。
本当に自分で「分かった!」と思える時ってこれに似ていて
興味や関心の容器があって、それは人それぞれ、必要なものやサイズが違うんですが
その中に少しずつ、色んな場面で情報やヒントの断片が貯められていく。
で、その容器がいっぱいになった時初めて、「理解」の形として私の手元に現れてくれる。
そんな風なイメージを持っています。
最近は、私のところに遂にこの理解がやってきてくれた!とも感じます。
花粉症と違うのは、ある程度自分でその中身を貯めていく行動をすること、でしょうか。
現代は情報の流通量が膨大なので、ネットや本やあらゆるもので情報が比較的簡単に得られます。
但し、自分で集めること、そして集めたものを自分で精査することが必要です。
例えば発声ひとつとっても、こうすればミックスボイスが出る!これで簡単ヘッドボイス!
みたいな情報は山ほど(しかも種類がたくさん)あって、
じゃあその色んなやり方や情報について、自分で考えて選んでますか?
っていうことがすごく大切になってきました。
(嘘や誤りもたくさん混ざっていますし、そもそも自分が欲しい情報がどれか、とかもありますね)。
考えて、試して、勉強して、選んで…
その過程で自分の興味の入れ物に水が少しずつ入っていきます。
いつもずっと意識して考えていなくても、興味があったり自発的に学びたいことは脳がどこかでいつも意識して情報を集めてくれています。
(なんてったって我々は脳のポテンシャルの3%くらいしか意図して使ってないので)
だから、何気ない日々のあれこれの中で必要な情報が目に「飛び込んで」くるんですね。
「情報は考える作業をして知識になる」
↑どこで拾ってきた言葉か分からないのですが、私のメモリストに書かれていました。
誰かに言われたことを、教わったことを、
ふーんそうなんだ…と単にストックしておく部分もメモリとして大切で
それプラス、「考える」を追加して貯めていく。
そうすると知識(私は知識というより自分自身の本当の理解だと思いました)として、
次のステージに連れていってくれる新しい容器になるんじゃないかなぁと。
なのでやっぱり、大人になってからの学びは、楽しい!
自発的に選んだものが、自分の真実としてきちんとかえってくる瞬間に出会えるから^^
0コメント