私の歌が「うまくならない」理由
こんにちは。さらです。
前々から気付いていたんですが、昨日のBodyChanceでのレッスンで
アカペラを始めてから何年もずっと、「歌がうまくならなかった理由」をはっきりと目の当たりにして
ものすごく今やる気が出そうな感じがしています。
上手くならない理由が分かってやる気が出るって、変かもしれないですが
つまりそこを押さえればもうちょっとくらいうまくなる余白を見つけたってことです^^
さて。
アカペラを始めて3、4年経った頃に、音は最初よりとれるようになったし和音も多少分かってきたし、その点はまだ上達ができるかもしれない
でも歌は、うまくなったとしても程度が知れてる とけっこうはっきりと思っていて、周囲にもそのように言っていたことを
よく覚えています。
もうその当時はめちゃくちゃ確信があったんですが、今思うとある意味ヒクツだったかもしれません。
上手くなれないから、仕方ない。みたいな、諦め。
その後の紆余曲折を経て、BodyChanceでアレクサンダー・テクニークの勉強を始め
そこでも、音大出の人たちの前で歌をうたうなんて恐ろしくてできない!と思ってレッスンのたびに泣き、
たまたま受け始めたベルティングのレッスンから、疑問や興味を持って「うたうこと」に向き合うようになって初めて、
どこまでも細分化した技術が必要で、それを体現してくれる身体の使い方を私はこれから学ぶんだという
ある意味正しい?本当の?スタートラインに立ったことに気付いたんです。
そこから、呼吸だったり舌だったり腕だったり口腔だったり、他にも色々、
関心を持って1つずつ精査するようにしてきたつもりだったんですが
順子さんとのレッスンで2つ、新しく自分について気付いたことがありました。
1つは、すぐにNGを出してそのままやり直そうとすること。
これだけアレクサンダーを学んでいてまだ、思い通りの事が起きないとすぐに「ダメ」「失敗」が頭の中を埋め尽くして
そのまま「やり直し!」と言い始めます。
この習慣をそのままにしておくと、そもそも否定によって身体を固めて必要な動きができなくなるし
やり直しのきかない本番でも自分にNGを出し続けて建設的な次の選択ができなくなるので
あくまで実験としてこれをやっている→今得た情報をどう客観的に考え、次に何をするか としたいんだよねー。うん。知ってた。
そして、次にもう一度実験をする際に、頭が動いて全身がそれに協調しながら、何がしたいのかを細かく具体的にした上で、始める。
昨日の私だったら、どのように息を吸ってその息はどこが動いてどこに入り、声を出す際にどの筋肉が動き続け、声帯まわりはどう動き、
フレーズはどこをつなげどう強弱をつけ、母音と子音をどう扱い…みたいに更に具体的に、指示を出します。
で、これがイコール2つ目で
どれだけ細分化して具体的にしていくか、ということが、技術の面で絶対的に必要でした。
この細分化・具体化の不足が「うまくならない」私の際たる理由の土台なんです。
そして不足ポイントに自分で気付いていく力が、そこから育まれて、この先必要性が増していくものだと。
恐らく、ほっといても自分でうまくなる人は、違いや違和感の認識力が高いと思うんです。
プロや目指す先の目標・お手本と自分との違いがどこにあるかに気付く力があり、それを分析して近づけていく試行錯誤ができる。
例えば母音子音の関係性や違いだったり、口や口腔内の形だったり、
フレージングに見合ったブレスコントロールの設定だったり、そもそもの譜読み力だったり
そういうことなしでも歌うことはできるけど、あるとないとでは雲泥の差で、でも細かいからやったことがないと気付かないようなことが土台になって
細かなひとつひとつが身体にしみついて、どんな曲でも自分を支えてくれる。
そういうのが「技術」なんだなぁと。今更。改めて。
分かってきていたかもしれないけど、クリアじゃなかったしもっとその内容は深かった!!
ほんと、ジャンピング土下座の思いです。
最近やってたつもりだったけどもっともっとできるのね…。やる!やります!!
というのが、今やる気の源になっています(o^^o)
そのための練習や精査のために、ボーカルの先生がいて、アレクサンダーの先生がいて、自分がいる。
ので、まだまだ知らないことしか歌の世界にはないんだと、兜の尾を締め直している次第です!
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