自分が最初に幸せになる、酸素マスクの話

こんにちは。さらです!

最近思うんですが、私、自分のことにしか興味がありません。
もう少し正しく書くと、私が何に興味を持ってどういう風に学んで成長できるかってことをとても重要だと考えています。
自分が好きなこと・幸せなことをやり続けてこれから自分がどう変わっていくか、めっちゃ興味あります。

「自分中心」みたいな考え方って、日本においては他人に迷惑かけてもOKだと思っている人のわがままに聞こえますよね。
実際私の生きてきた中でも、ひたすらトラブルを起こしまくって本人だけがその瞬間の都合のいいことを選んでいるタイプに
何度も遭遇しています。
見ていて決して気分のいいものではありません。

そういうコミュニティクラッシャーみたいな人のことはちょっと今横に置いておいて、
まず考えたいのは、私がハッピーでいることは他人に迷惑だろうか?ということです。

少なくとも自分においては、他人を意図的に害したり他人の不幸を認識しているもとで幸せを感じたりしない と思っています。
(他社への共感・認知、自分と他者との関係の認識は脳の仕組みによりそれぞれですが、)
もしそういう他者への害を認識しない人がいたとしても、その人の価値観は私から見ると「他人の思考」です。

例えば他人の身体を無理やり移動させることはできるかもしれませんが(←良い事ではないですね)
他人の考え・感情を完全にコントロールすることはもうこれ完全に、不可能です。
そのコントロール外のものを、私がものごとを選ぶ・行動する一番根底の基準に置いてしまうと
結局のところ、自分が中心にいない・自分不在のチョイスをしたことになります。

それって、本末転倒ではないでしょうか?

私が扱えるのは、私という唯一コントロール可能なものだけです。
そのコントロール可能な私について選びたいことがあるとしたら、不幸なものではなく幸せなものではないでしょうか?

だから、自分主義でいることは絶対幸せになれることだと思うんです。
全てを「じぶんごと」にした結果、人の役に立ったり人を幸せにすることを積極的に選ぶことはありうるけれど
自分が不幸で泣いていて愚痴ばかり言うような選択をしながら、周りの人が私と一緒に幸せな気持ちになるとは
ちょっと思えないんです。

もし私が不幸であることで幸せを感じる人がいたとしても、
それはコントロールできない他人の思考なので、………(以下、4段落前からの無限ループ

ここで1つ例に挙げたいのが、飛行機の非常用アナウンスです。
離陸前に、トラブルがあった際の対処について映像が流れますね。その映像の酸素マスクの箇所をご存知でしょうか?
子供連れの人は、必ず「自分が先に」酸素マスクを着用するようアナウンスされています。
理由は簡単で、有事の際に子供の面倒を見るのは保護者たる大人です。
その大人が先に安全になっておかないと、倒れてからでは誰が子供の面倒を見てくれるわけ?ということですね。

まず自分自身がハッピーになること。
その先で、誰かの役に立ったり誰かを助けたり、できるんです。

もし全世界に他人だけを優先する選択をする人しかいなかったら、誰の幸せが最初に叶うんでしょうか…
ニワトリと卵な話になりますね。
まず、自分!誰かにこたえを求めなくても、あなたはあなたの答えを知っているはずなので。

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。