【閑話休題】私に必要だった経験
こんにちは!さらです!
今日はワークショップのふりかえりをちょっとお休みして
最近私がはっとしたことについて書いてみたいなと思います。
どういうことかと言うと
「明確なプランの実行による成功体験」というのが、私には絶対的に必要だったんだなー
ということです。
やりたいことやできたいことがあって
そのやりたい気持ちを持続させるモチベーションのひとつに「成功体験」があると思うんです。
「失敗」をネガティブにとらえた経験を重ねると
自己否定やポテンシャルの否定をして、
ひいてはやりたいことへ向かう気持ち自体を失っていく。
えーーーめっちゃ悲しい!><
ちなみに、これ、私でした。
私の場合は何を否定していたかというと、声そのものとか歌うこと、とかです。
歌をうたいたい!と思う以上、何かしら理想とか憧れとかこういう風にしたいとかのイメージがあって
それに対してなんら実現できる見通しが立たないから
私の声はそもそも細いからボリュームのある太い声は出ないんだ とか
高音が出ないから低音をやるしかないんだ とか
歌うまくならないから歌いまわし練習しても仕方ないのでは
むしろ下手くそなのに歌にしがみついてる自分がめっちゃ恥ずかしい とかとかとか。
結果、アカペラでリードとらなきゃいいんだし!歌うまくなくてもいいんだし!
などと思っていたわけです。
(おかげさまでハモりに関してのアンテナは立ちましたが…^^;)
でも、当時の私は、できたいことのために私ができることについての考えが全くといっていいほどなかったんですね。
アレクサンダー・テクニークの勉強を始めて、うたうことについても様々なレッスンや実験をする中で
発声を変えたり発音について考えたり、遅まきながら「声」にまつわることを勉強して
最近になって初めて理解したんですが
なにかを「やめたい」「変えたい」と思った、その時に、代わりになる新しい「プラン」が絶対必要だということです。
なぜなら「うたうこと」というのは私にとって、かつてずっと不明確なプラン・習慣だったから。
いつだって歌うことはできる。でもひとつひとつの細かな点についての明確な定義がないものだったから。
明確性に欠け、自覚的にやっていない習慣の力というのは異様に大きく強くて、やめたくてもただではやめられない!
(きーーっくやしい!苦笑)
例えばうたう時に「のどをあける」とか「天井を高くする」とか「感情を込める」とか、
構造や指しているもの・動きが不明確な自分への指示から、
腹筋群や骨盤底筋をどう使えば結果的にそれが起きるんだっていう認識のもとに行うプランがあればいいんだな、とか
副鼻腔のマッピングや構造、サイズの確認をしておこうかな、とか
具体的に歌いまわしのアナリーゼをすることとかの方が、私にとっては現実的で有用なプランでした。
「何となく」、うたうって「いつもは」こういうこと、というイメージは
種類によっては私の身体の外側で仕事をさせようというプランになっていて、
それがうまくいっていない事に薄々気付いていました。
先日、あと一歩どうしてもうまくいかない発声についてBodyChanceでレッスンを受けた時に
実現するためのプランをひとつひとつ確認し、構造について理解し、実行にうつしていった結果
めっちゃうまくいきました。
クラスみんな「やったー!」って一緒に喜んでくれて、
その時「あ。私、こういう成功体験を今まで殆どしてこなかったんだ」と思いました。
何となくやって成功したことの再現性は低く、
明確にプランニングして失敗したのならうまくいかない例を見つけたという成功です。
で、プランを実行して成功したらそれはもう再現可能な自分の技術です^^
ともすればまぐれ頼りになっていたフェーズから、自身を信頼できる成功体験に段階を移していけます。
成功した体験は、物事を進めていく中で必要なものだと誰もが考えると思います。
それにプラスして、論理的に、明確に、検討された実行可能なプランにのっとって
それをやったという成功は
失敗を失敗ととらえない、かつ自身でその後も成長を続けられる という体験なんだと思います。
あと、「何となく」を重ねてできるようになったものは、
本番の緊張(戦い)のさなかでは、戦略としてちょっと乏しい。
それで、本番といういつもと違う場面でパフォーマンスすることが異様に難しかったんだなーと
思っています。
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