言葉にくっついた価値?
こんにちは。さらです。
ここ1週間くらい「ことば」の価値や意味みたいなことについてずっと考えていて
やっと少しまとまってきた感じがするので
(それでもまだ抽象的なのですが)今日はそのことを書いてみようと思います。
言葉の意味そのものとか定義づけに、自分の価値判断や優劣を混ぜ込んで考えていることって、ありませんか?
例えば「正しい」ことは「いいこと」もしくは「優劣で考えて優位のもの」みたいな。
逆に、正しさは人を傷付けるから「よくない」もの、とか。
少し前にBodyChanceの授業でそういった、
良い悪いの意味を言葉や単語自体には含んでいないのだけど
言葉のイメージに価値の意味合いをくっつけて考えていて
その価値のために自分の言動に不安があったり迷いがあったりするのかな、と推測した場面がありました。
また、その日の授業の帰り道、先輩トレーニーさんたちと話していて
「自分に優しくするのって難しいよね」って話が出たのですが、
そこに「甘やかすのとは別なんだけどね」という返しがあってものすごく
それだ!!私は自分への優しさを甘やかしだと思っていた!そして甘やかしは下等なものだと思っていた!ということに気付いて
あぁ今日は言葉の定義と価値について考えるべき日だったんだなぁと思ったんです。
さらにその翌日くらいに友達から受け取ったメールの文面から、私は
すごく褒められてる!うれしい!と判断して、そのように返事をしたのですが。
や、特に褒めてないんだけど。って返ってきてちょっとびっくりしました(笑
相手はただ私についての事実を書いてくれていたんですね。(恥ずかしい!w
私はいつか、今自分が勉強していることを使って人に教える ということを目標にしてBodyChanceに通っていて
その中で、アレクサンダーさんの考えとしても、教えるに際しての心構えみたいなものとしても、
相手に通じる言葉を使うこと、定義を再確認すること、なんかを以前より意識して日々を過ごしていると思っていました。
のですが、なかなか、難しいものですねf^_^;
そもそも現在の日本語は、国内に存在しなかった言葉・概念・考えなんかを
輸入して翻訳して新しい単語を作成して使っているものがかなり多いはずです。
なので、文化的にも考え方としても日本にまだ完全にはフィットしていないものをそのまま使っていたりすることがけっこうあるのかもしれません。
時代によって意味合いが変化しつつある言葉もいっぱいあります。
そうでなくても言葉から想起されるものは人それぞれ違ったりするのに
馴染みきってはいない言葉に、さらに順位や優劣や正否を無意識のうちに付加していて
それが私たちの行動や思考を縛りつけてしまっていたり、
本来は意図されていない受け取り方をしたりすることがあるのかな、と。
いいものはいいし素敵なものは素敵だし、やなことはやなことなんですが
普段自分で何気なく使っている言葉や誰かが発した言葉に
くっついていないはずの価値がちょこんと乗っかっていないか。
見えづらいものなのですが、時々ふんわりと観察してみると、世界が自分に優しくなっていくのかもなぁと思っています。
(↑デスクでスマホを背負ってふんばってくれているピグモンちゃんです)
ちょっとこじつけですが、
次回は自分に優しくしながらミリ単位で物事をやってみよう!という話にしたいなと思っています。
0コメント