私を本当に認めてくれるたったひとりの存在は?

こんにちは。さらです。

「自己肯定感」「承認欲求」といった言葉が横行してひとりあるきしている今日この頃、
認めるって一体どういうことかな、と考えることが時々あります。

人から褒められるのって、嬉しいですよね。ちょうモチベーションになる。
それが努力していることならなおさら^^

というか、何の努力もないことなんて殆どないはずです。
全然何もせずにお勉強ができる人はいないし、
素敵なアイディアをバシバシ出す人がひとつもインプットしていないはずがないし、
美形の人がその維持のためにやっていることは必ずあるし、
一流のプレーヤーが全く練習も勉強もしていないはずがない。

ちょっと目立つ例を挙げましたが、世の多くから認識されるようなことでないと、自分の周りの大多数から認められるようなことでないと
努力をしていないとか褒められないってわけではないですよね。

毎日朝起きて会社に行く私、めっちゃえらい!
お夕飯の味付けがうまくいったのさいこー!
日課のストレッチ続けてるの天才か!
取引先に笑顔で対応できた私ちょういい子!
アポに遅刻せずに移動してすばらしい!
もう、毎日の全て、色んなこと、私は頑張ってるしえらいし褒める要素がありまくるんです☆

ところで昔、職場で「お前は頭いいからすぐなんでもできていいかもしれないけどな!」と先輩に嫌味を言われたことがあります。
でもその時に言われた「なんでも」の内容は、入社時全くからっきしできなかったことで、
必要に迫られて少しずつ時間をかけて勉強して工夫を重ねたことだったんです。
ただ、先輩の目にはその時間も内容も目にとまっていなかっただけでした。

「ずるい」みたいな言われ方をされて、その瞬間私は結構傷ついたし、内心憤慨していました。
ですが、その「できること」を努力をして手に入れて使いまわしているのは、他でもない私自身です。
勝手な判断で嫌味を言う先輩でも、仕事を評価する上司でもなく、私です^^

誰が評価しようが誰が決めつけようが、私が私のしたことをちゃんと知っていて私が私のやることを決めていて
だから、私を認めて褒めちぎってあげられるのも、私の価値を認識できるのも、私の人生を歩んでくれるのも
私しかいないんですよね。

同時に、私を律し、鼓舞し、成し遂げたい自分のために考えさせ、実行させるのも、私しかいません。
誰かに与えられた課題を与えられるままにし、誰かの無責任な評価を自分の評価のように思うのは
私の仕事ではありません。

私のことを唯一の私として認めてあげられる、唯一の存在。私。
そっちに向かって毎日選び、考え、歩いていきたいなーと思うんです^^

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。