その恐怖、ホンモノですか?
こんにちは。さらです。
今年も、キャシーが来日しました!
キャシー・マデンはワシントン大学大学院で演劇を教える、世界的に高名なアレクサンダー教師です。
彼女のワークは本当に素敵で、深くて、みんな来日を毎度心待ちにしています。
キャシーのグループレッスンから今年私が学んだ緊張についてと、呼吸についてを
何回かに分けて書いてみたいと思います。
今年私が受けた最後のキャシークラスは、この部屋にこんなに人がいるの見たことない!ってくらいに
座る場所がないほどたくさんの生徒が来ていました。
そこで高音についてのレッスンを受けようとした私。視界にはたくさんの人。人。。
久々に、あいつがおそって来ました…!
「ひぃぃぃ><こわい…!」
涙を流しながら、歌おうとしては「こわい」と言った私に
キャシーは「トラが歩いてるわけじゃないのよ」「あなたがその音を間違えたからってこの中の誰も怒りだしたりしないわ」と。
そうなんだよねー知ってる。それは分かってるの。と言いながら、それでもまだ躊躇している私に
「『こわい』という言葉じゃないんじゃない?」「それが『シデーレ』の話よ」
というようなことを言っていたと思います。
シデーレ?ナニソレ?
「シデーレ(sidere)」というのはキャシーのアメリカでの演劇のレッスンの際に出た話らしく
緊張や恐怖や不安に対して、別の名前をつけちゃえ!ということみたいです。
ダメなこと、失敗する予想、かたまること、完璧主義、不安妄想、なくなってほしい etc..
緊張(私の場合は『こわい』という言葉に集約されていました)に対して
これまでの経験から多くのネガティブなものを我々は自分の心にしみつかせてきているんですが
でもまずもって、緊張することって悪なんでしょうか??
本番や重要なポイントを「いつもと同じ」「平常運転」ととらえようとするのは間違いです。
だって、練習や家にいるときと、同じはずがないんですもん。
その「異なる」環境・状況に対して「緊張」というものがどうして備わっているのか。
ひとつは、アドレナリンを出して自分のカラダが自分を応援してくれている、
それから「未知」のものに対しての備えをしようとしている、
ということがあるんだと思っています。
緊張は進化の過程で淘汰されずに残った機能だからこそ、それを亡き者にせず、一緒に頑張っていきたい!
だって私のカラダですから^^
でもネガティブなイメージがくっついているせいで、緊張と一緒にいることができなくなっているんですね。
そこで!シデーレが登場です。
「シデーレ(sidere)」はラテン語で「星座」の意味で、
キャシーは「望み(desire)」と組み合わせた造語として新しく作ったと言っていました。
(「素敵でしょ?」とも言っていました^^)
緊張や不安なんかがやってきた時に
「あ!これはシデーレですね。私を鼓舞してくれるやつ。知ってるやつ♪」と言い換えてみるのはどうでしょう?
これまでと別の視点から考えることができそうですね。
私のチアリーダーとして応援してくれる、素敵で心強い味方であり、
そしてこれは未知との戦いではなく、経験の中で知っていることのひとつである。
ひとつ別の言葉・名前に置き換えることで、
緊張・不安などに対しての習慣的な反応を、その内容は正しいですか?と改めて問うとともに
ポジティブなものとして受け取っていく習慣を選ぶことができます。
因みに言葉は何でもいいです^^
そういえば演劇や緊張のワークで「ジブリッシュ」というものがありますね。
それとちょっと似ている部分があるかもしれません。
言葉に囚われない自己表現 という意味では、新しい言葉と定義を作ってリニューアルし続けることは
緊張の中身に対して、それホンモノですか?と問うていく格好の機会になると思います♪
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