満員電車で気付いた「音楽には身体の自由が必要」
こんにちは。さらです!
毎朝、通勤ラッシュの電車に乗って通勤をしているのですが
ほぼ身体の自由がきかない状態の車内で、そうだよね!と思ったことがあったので、今日そのことについてです。
大学で東京に出てくるまでここまでとは思っていなかったのですが
都会のラッシュの電車って本当にしんどいですよね><
タイミングと路線によりますが、一番酷い時は両足が浮きました。
で、そこまでとはいかないまでも、先日、身体の四方が誰かとくっつく程度には混んだ車内で
スマホの譜面を見ながら音取りをしていたんです。
イヤホンから原曲を流しつつ、自分のパートの音やコードをざっくり見て
ここは鍵盤で確認したいな…あ、この転調は練習できちんとやろう…なるほどリズムがここで変化…ん!?
と、はたと違和感を覚えて思考がストップしました。
動きたい…体動かしたい…何でこんなガチガチで譜読みしてるの私…
↑そりゃ、満員電車ですから。
ここでちょっと、はっとしました。
その時譜読みしていた曲は、ポップスの原曲がジャズ寄りにアレンジされたもので
ビートやノリ、シャッフル感などが大切にされています。
で、身体を固めているとそのリズムがぜんぜん、分からなくなってくるんです。
音楽のために!身体の自由!ちょう必要!!と思いました。
満員電車でもある程度身体を楽にしていることはできるんですが
いかんせん四方八方から自分側への圧力がかかってくるのは仕方のないことですよね。
この状況を「自分で」作ってしまっている時に、
リズムがうまく作れなかったり合わなかったり走ったりetc. するんだと思い当たりました。
「リズムに乗って」とポップス系の曲ではよく言われますが
逆に「乗らなきゃ」と一所懸命になって身体の自由が減っている人をアカペラでも合唱でもよく見かけます。
今回の立ち止まりから
「リズム」という無形のものに「乗る」ことのイメージが難しい場合に、
演奏するための自分の身体から、不要な力を手放してあげる という方向へ転換するのは
なにかヒントになるのではないかなーと思いました^^
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