幸せな自分を選びたいブログ
こんにちは。さらです^^
今日読んだあるコラムの記事がとても好きだったので、そこから私の感じたことなんかを書いてみたいなと思いました。
cakesで連載されている牧村さんのコラムなんですが(こちら)(よかったらコラムを読んでから、この先を読んでいただきたいです)、
読んでいて、「もしかしたら、幸せより辛さの方が、人を団結させるのかもしれない。」
という箇所と、それに続くしめくくりまでの一連の文章にとても惹かれました。
あぁ、私のまわりにも、私自身にもそういうことたくさんあるなぁと。
自分はつらい立ち位置に立って(立たされて)いる、そうじゃない人はずるい
不遇な私たちで一緒にずるい人を引きずりおろそう!という視点からだと、
他者への想像力も自分自身へのやさしさも、なかったことにしてしまわないだろうか
その立ち位置にいるのを選んだのは他でもない自分であって、立ち位置も視点も自分で変えられるし選べるんじゃないだろうかと。
牧村さんも書かれていますが、↓
「私、辛いわ。あなたも辛いのね。私たち、一人じゃないわ」の方が、成立しやすい。
「私、幸せよ。あら、あなたも幸せなの?」となると、話は「そっか~★」で終わってしまいがちだ。「支えあいましょう!」とはならない。
↑年齢・性別を問わず、事の大小を問わず、たくさん、あると思うんです。
「私の思い通りにはならない他人」のことをコントロールしようとして相手に「NO」を出したくなったり出していたりすること、自分においても他人においても毎日のように見かけます。
そして、そういう自分を恥ずかしく思って自分自身にも「NO」を出すこともよくあります。
だけど、「誰かを否定している自分」自体は、なかったことにしたくても存在しているので。
その存在という点では「YES」なんだなということが、最近ちょっとわかってきました^^
どんな私であっても、どんな考えであっても、それが「ある」ことは肯定せざるを得ない事実です。
そこから、願わくばなるべくいつも「自立した自分」でいられるようになりたいなぁと、
牧村さんのコラムを読みながら思いました。
自分で幸せになるために色々なことができるし、自分が幸せだから他人の幸せも認められる。
自立したそれぞれだから本当の意味で支えあえるし、
それぞれの世界のことをお互いに知って、新しい知識や理解をもってまた自分に還元できる。
楽しいことや幸せなことって、(他を意図的に傷つけることでなければ)自分が喜ぶことなんですよね。
自分が我慢することではなく^^
「我慢している」って思うことから自分を一歩すすめて、
自分が喜ぶことのために
時間も思考も使っていこうと、改めて思った今日でした。
0コメント