声を手放してうたう
こんにちは、さらです。
今日はボーカルレッスンの日だったので、レッスン後の気付きについて書いてみようと思います。
突然ですが私、「心を込めて歌う」とか「気持ちを込めて歌う」っていうのが今ひとつわからないんです。
どんなに気持ちがあっても音程やリズムや発声やあれやこれやがめちゃくちゃだったら伝わらなくない?てかそもそも込めたい気持ちって特にないし。
って思ってました。今でもちょっと思ってます。
暗譜していても脳内譜面を読んでいて、ピッチがいつも気になっていて、ここではこう声を出すのが正解なんだろうから無理矢理やる、みたいな意識が今も強いです。
少し前のレッスンの際、先生にレッスン曲のある箇所について
その箇所全体としての言葉のつなぎやフレージングのヒント、先生の考え・イメージなんかをもらいました。
じゃあそれをもとに自分として実現するために、今私が試せることはなんだろ?と考えてとっさにやったのは
現時点でのありったけの技術でその曲のその箇所への解釈の通りに歌う ということでした。
(因みにそれまでは、単に真似をしようとしていただけだったんだと思います)。
その結果、気持ちや音楽が伝わった!と言われたんですね。
へぇーそうなの!?ってなりました(笑
嬉しくもあり、意外でもあり。
それで、私の中での「心を込めて歌う」の解釈が、「技術を深めて使う」みたいなものに少し変化をしました。
謎の何か から、改善可能で実際的なもの への変化だと思っています。
多分音楽家の人が当たり前にやってる土台の中のちいさなひとつで、でも私は長年気付かなかったことです。
それまでも、やれることを増やすための技術であり発声であり練習であり勉強であり…と思っていましたが、
心とか気持ち みたいな私としては何の追求もしようがないと感じていたものへのアプローチのひとつとして、
練習や技術がちょっと違う位相にも出現した感があります。
そして今日も、(ちょっと悔しいのですが)同じ曲のやはり同じような箇所で発声や喉の使い方・フレージングなんかについての提案をもらいました。
で、今日の私の身体で試せる技術を全部選び続けること をやりながら
さらに、先生の提案の中のひとつにあった、「出た声を手放してあげること」も一緒にやってみました。
すごくうまくいきました。(わーい!)
めっちゃ褒められました。(わーいわーい!)
褒められることは目的じゃないですが、でも褒められたらやっぱり嬉しいですね^^
もとい!
歌をうたうに際し、和音のはまり、ビート、ピッチ、母音&子音、発声、フレーズ、各段やパート・曲全体での構成、言葉、etc. そしてそれらの組み合わせが無限にある中で
どんな人でも瞬時にいつもやりたいことや必要なものを選択し続けています。
やりたいことを実現ための練習や探求・技術であるけど、
もうひとつ私にとって重要だったのは、身体から出ていったものはもう私のところには戻ってこないということでした。
Body Chanceでも何度も、出た音は変えられないよって聞いていたのですが、やっと私のものになりました!
どんなに押しても引いても、出した声を出した後で変えることはできません。
出たものは手放して音楽の流れに乗せて、その瞬間も次の音楽のために新しい選択をし続ける。
私と私の身体が手を繋いで、うたうために協力してくれることを信じながら、
出てきた私の声は私から手を放してあげる勇気。
とか、見送ってあげられる心持ち。みたいなもの。
先生は、出しちゃえば声が先に行くのに任せる、というような言い方をしていました。
こういうフレーズにしなきゃいけないから…!(ぎゅっ) と固めてしまうよりは、
実現するための技術を選択できる自分もいて、そして選択したからあとは音波です くらいでいてもいいのかな、と思います。
手放すことで身体を自由に使えるようになるからこれからやることへの選択をし続けられて
楽でいられる循環が生まれる。
そう思ったら、できることを増やすことや精度を上げることへのモチベーションが上がりました。
同時に複数のことができる、ということにつての体感も深まりました。
今日もいい日です(o^^o)
松永ちづる先生はいつも
生徒のやりたいことを丁寧に受け取りながら、理解可能で挑戦もできるところにレッスンのポイントを置いてくれます。
私もそういう視点と気付きをもてる人間になりたいです。
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