閑話休題?【手放す自由】

こんにちは!さらです。

これまで4日連続で呼吸に関係することを書いてきて
これは良くない とか やめた方がいい みたいなことを多く書いたかもと思ったので
ちょっと休憩も兼ねて、「手放す」っていうアイディアのことを書いてみようと思いました。

時間をかけて一所懸命やってきたことや、当たり前だと思っていること
正しいと信じているものなどなどなど、
突然、それ良くないかも とか やめた方がいいんじゃない とか言われると
びっくりするし、そんなことないもん!てなると思うんです。

ブログの中で私が伝えていけたらと思っていることは
何かを否定することでも、アレクサンダー・テクニークが最強です!と布教することでもないんだよなー
とさっき改めて気付いて、今の私なりにちゃんとそのことを書かないと!と思いました。

アレクサンダー・テクニークでは、生徒さんのやりたいことのために教師が提案したことを、
生徒さん自身がやるかやらないか、持ち帰るかどうかを決めます。
だって、実現するのは生徒さんですから。
これが正解だからこの通りやりなさい!て言われたことに納得や安心感がないのに
無理やりやることは建設的ではありません。

だから、やるかやらないか、自分で決める。
で、この「決める」の中には「やめる」も含まれます。
さらに、この「やめる」という言葉を「手放す」に変換するとより素敵かな、と思っているんです。

「やめる」って言葉はどこか痛みを伴う気がしています。
やりたくなかったことをやめるのは楽になりますが、
今まですすんで選んできたものをやめる ってなると、うっ!てなりませんか?
私はめっちゃなってました(笑)
選んできた自分を自分で否定しなきゃいけないような気持ち でしょうか。

今気付いているのは、
・やめることは、もう二度とそれを選べないことでも、否定することでもない
・選んだものも選ばなかったものも、自分なりにどちらのことも理解した上で選んでいるからいつでもまた選び直しができる
ということです。

アレクサンダー・テクニークを勉強していると、手放すって言葉はわりと頻繁に出てくるのですが
上記のことに気が付いたときに、手放すって言葉がよりしっくりくるようになりました。

今、自分が学ぶ中で、やりたいことを実現しようと努力する中で、
丁寧に考え、感じ取り、より良いと思うものを選択する(と、自分で決める)。
その選んだものが新しいものだった場合、
今までのものを一旦自分の手の届く範囲から外に置いてみる。
置いてあるから、必要だと思えばまたいつでも選んだらいい。
やめるって、手放すって、そういうことかなって思っています。
もっともっと、自由があっていいものだなって思いました。

まだ私は、なるべく肯定的な言葉を使おう思っていても「NO」の言葉を使ってしまいがちですし
また、明らかにデザインや論理に沿わない場合はそれを伝えることも必要だとも思っているので
ブログの中で全てを肯定的な言葉で書くことは難しいのですが
どんな内容でも、読んだ方が納得して選んだことがその人の真実だと考えています。

私は学ぶ中で使えると感じたこと、素敵だと思うことをシェアしている。
その中から何を選ぶのか選ばないのか、全て読んで下さっている方の自由。
責任を放棄しているのではなくて、(そして現時点の自分に出来る限り正確に書こうというつもりで書きます!)
自分が選べることの範囲をたくさんもっているといいなと、思っています。

あ、なんか手放す話じゃなくなってきました(苦笑
では、ここで手放すについてもう1つ!

知らないうちに習慣になっていることや長年やってきたことには
結構ノイズが混ざっているなと、勉強する中で気付かされる場面がたくさんあります。
だって「本当に正しい歩き方」って誰が知ってますか?
日々やっていることだからこそ、知らず知らずのうちに身体にとっては不要なことを織り交ぜて
それが「当たり前」になっています。
当たり前を手放していくことでどんどん身軽になって、
身軽になった身体と思考で、いつどんな瞬間でも選べる。楽しいですよ☆

あ、結局選ぶ話になりましたね^^:
私の中では同じ流れの話なのかもしれません。

こちらは選択することについてのさらが気にいっている、サクちゃんさんのツイートです!

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。