手に入らない安心感
こんにちは。さらです。
練習をしていて、勉強をしていて、仕事をしていて、
「正しい」って感じられることって重要に思えますよね。
この正しいと思えることによって得ている最たるものは「安心感」だと思うんです。
間違った道を歩んでいないという心的な支えは、ポジティブにも自信にもつながって、未来の自分への糧になります。
ところで、この「正しさ」という名前の「安心材料」、実は本当には手に入らないものだって、気付いていましたか?
正しいって現在においてのことで、未来については決まっていない、変動する可能性のあるものです。
また、あるべき理想や事実を起こす・実現するのはいつでも自分の身体と考えなんだと思うんだけど、
自分の全部も、自分を取り囲むものも、いつだってずっと変化を続けている。
なのに、とある時点での正しさで、自分のアイディアが止まってしまっていいんでしょうか?
ひょっとしたらその正しさ、ひっくり返るかも知れない。違う何かに少しずつ変わっていくかもしれない。
そういう意味で、安心材料は手に入らないものです。
今の「正しさ」は永久に正しいとは誰も保障してくれないから。
自分でそれにしがみつくことはできても、相対的で評価的である「正しさ」は、手にいれたつもりで実は手から離れていっているかもしれない。
だからこそ、アップデートしていくことが必要なんじゃないかなぁと思うんです。
正しさって、ちょう大切なもの。そして大切であることと固執することは、別なんです。
これ、めっちゃ大事です。テストに出ます(笑
大切なものだから、いつでも自分自身で気付いて見つけて、
これは良さそうかな?いけそうかな?と実験して、素敵だった!使ってみよう!と選択していく。
そういうものだとより良いのかなぁと思います。
クリエイティブで実験的であること、つまりはチャレンジできていることが、
いつでもその先の正しさという安心感を自分で作り出せることです。
だから、いつも手に入らない。でも、いつも手に入っている。
なんとなく「ない」話のような気がして、これはめっちゃ「ある」話です。
という、抽象的な話でした^^
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