レッスンは能動的なほど効果があります

こんにちは。さらです。


レッスンを受けるとき、どんな種類のレッスンであっても

自分のやりたい事があって能動的な方が圧倒的に成長が早いです というお話を今日は書きたいなと思います。


これは私の経験なのですが、

けっこう長い間、ボーカルレッスンに何となく好きな曲とか何となく歌いたい曲を持っていっていたんです。

で、ただ歌いたいだけだから大した準備もなく(この時点でまずい…!)

うたってみる→改善点を示される→なんとなく分かったつもり→雰囲気だけ真似する→以上!

みたいなレッスンになってしまっていたんですね。


そもそも私の場合、アカペラはやりたいしうまくなりたい(ハモリたい)けど歌はうまくならないだろう

という考えがはなからあって

アカペラだってうたうことなのに「うまくならない」という制限を中途半端にかけることで

レッスンで何をすべきか・したいかがすさまじく不明確になっていました。


ハモる声をつくっていく過程には様々な技術やアイディアが必要なのに

その取得のために自分に何が必要か、気付いていませんでした。

そもそも声や発声がどれだけハモりに重要かが頭から抜け落ちていたふしがあります。

(そしてうたうだけ、アカペラをやるだけなら、別にそういうこと気にしなくても誰でもできてしまうんですよね…)



学校教育の弊害みたいな部分もあると思うのですが

基礎的な教育の段階では、カリキュラムが決められていて授業の日程が決まっていて

与えられるままにこなしていけば何とかなってしまう部分があります。

(本来そういう目的ではないことは知っていますが)。

その「与えられる」ことに慣れきってしまうと、昔の私みたいになるんですね^^;


高等教育以降、さらに、大人になってからの自由な学びでは

自分が何をしたいか、そのために何が必要か、全部を自分で考えて自分で決めなければ、誰も代わりに学びの過程を進めてくれません。

今となっては、あー私、お金を無駄にしたなw と思います(時間としての価値はありました)。


高音を開発したい、母音の当てるべき位置がうまくいかない、発音で明暗が分かれる、フレージングのヒントが欲しい、etc.

ハモリたい私の望みを細かくしていって、さらに細かくしたものを実現するために何をしようとしているのか考え、

その実現の手助けをもらうために、レッスンに行く。


やりたい曲であっても、それはどの望みのために、どの学びのために選んだのか、適しているのか。

その曲の中で気になっている点はどこにどれだけあって、自分ではどう分析しているのか、言語化できるか。

そういうことを考えていくと、能動的にレッスンが受けられますね。


できれば、それに対して「正解」「答え」だけを「与える」先生ではなく

「自分で考える」「検討する」きっかけをくれる先生だと尚いいと思います^^

能動的に学びに行ったその先で、自分が積極的に体感したり納得したり考えたりして選び取ることができれば

あっという間にできることが増えます。


雰囲気で、へぇーそうやるといいんですか。 ってレッスンをしてなんとなーくしか変われなかった私ですが

ある時、レッスンて自分で本当にやりたいこと考えてから行かないともったいないじゃん!て気付いてから

さら)今日はこの曲をやりたいです(→うたう

先生)ここの音程が改善できるんじゃない?

さら)そーなんですよ!そこ、当て方が決まらなくて悩んでて

先生)こうやってみたら?(→例示

さら)うーん…それ、ちょっと分かんないんですけど舌の位置どうなってます?

先生)こういう意識でやっててこうなってると思うけど

さら)なるほど!…(何回か試す)…今すぐできないけど何回かやればうまくいく予感が…!

みたいなだいぶ建設的な会話ができるようになってきました。


先生のアドバイスや指摘を毎度自分の言語・体感にするために

考えて翻訳し直してもう一度先生に自分の言語で説明する癖をつけていくと、

それに対してまたお互いに確認や探求ができるので

その後レッスンがめちゃくちゃ進みます。

お試しあれー。

レッスンの楽しさやご褒美って
自分で見つけた自分の課題を(最終的に)自分でクリアしていくことだと思うんです(o^^o)

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。