自分の面倒を自分で見る話

こんにちは、さらです! 

アレクサンダー・テクニークを勉強していると、「自分の面倒を見る」という話がよくでてきます。

例えばレッスンでは自分のその日のテーマでまずやってみて、それに対して「どうでしたか?」と聞かれます。
自分がどういうつもりでやろうとしたのか、やってみたことについて今どう考えているか、いつもとの違いはあるのか。などなど。
先生に提示されたプランをやる時もやってからも、
自分の選択とやったことについて観察することがいつも求められます。
教える練習をしている先輩トレーニーさんたちも折々で「今、何をしていましたか?」と問われます。
責められているとか間違っているとかではなく、
自分の動き・考え・思考その全部について何をしているか自覚的であるための問いかけです。


今日SNSで、
欧米人と話しやすいのは、彼らが自分の機嫌を自分でとっているからではないだろうか、という内容の投稿を見かけました。
これはもちろん全員に当てはまることではなく、そして文化的な面も多分に含んでいますが
(そして投稿者の主観によるものですが)
確かに日本人よりはその瞬間の自分の機嫌を年齢や立場の上下によって出したりださなかったり、という人は少ない傾向にあるのかもなぁと想像しました。

で、この投稿を読んだ時、自分の面倒を見るって、こういうところから始まるのかな、とふと思ったんですね。

私は今どういう顔で人と接しているかな?この言い方を選択したくてしているのかな?
その時私の身体では何が起きているのかな?周りは見えているかな?音が聞こえているだろうか?……
チェックではなく、見つめる、みたいな。

普段生活していると、そういうことって別に意識しなくても全然、生きていけるんです。
ただ、やりたいパフォーマンスがあったり、日々をより快適に過ごしたりしたいと思った時に
自分が「何をやっているか」に本当にコミットしていくことが不可欠だということがわかってきました。

相手を変化させることはできません。
できることは自分自身を変化させることだけ。
自分のやっているあらゆることは(意識的にしろそうでないにしろ)自分で選びとったことです。
できるだけ毎日、毎瞬、快適でいたいなーと思うので^^
思い出した時だけでもちょっとずつ、「私は今何をしている?」ということを自分で問い続けたいなと思いました。

今日は思いつきの雑雑としたお話でした。
父の絵のモデル用に撮った写真の、写真。
ついつい、不機嫌な顔をしてしまったり、します。これもまた選択、でしょうか(苦笑

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。