自分史上「完璧」の私?
こんにちは。さらです。
昨日のブログの中で、「完璧」という言葉を載せたのですが
ちょっと誤解を生みやすい言葉なのでもう少し言葉を増やした方がいいかな、と思ったので今日はちょっとだけ私の認識を書こうと思います。
今の私が「完璧」 っていうと、あなたはあなたのままで何もしなくても完璧なのよ!変わらなくてもいいのよ!みたいな
ちょっと怪しい眉唾ものの勧誘みたいに聞こえてしまいますね^^;
きっと個々人の生としての価値は何にも代え難く高くて、その点では完璧と言えるかもしれませんが
環境やTPOや自他のニーズにも関わらず変わることを拒否した自分は、ちょっと色々マズいような気がします。
Body Chance校長のジェレミーがよく授業中に、「痛みはいつも完璧」 というような話をします。
いやいや、痛いことは間違いでしょー完璧なわけないじゃん!って思いますよね?
でも完璧らしいです。
健康で身体に痛みを抱えるというのは、痛くなる身体の使い方を選択した結果なんですね。
……えー!でもわざわざ痛くなるようにしてないし!
→そうなんです。誰も痛くなる使い方なんてしたくない!
でも、「あなたの身体」が絶対に痛くならない使い方を、成長する過程で誰か教えてくれましたか?
全ての人が異なる身体と異なる意識を持っているのに、固定した正しさはありません。
誰も教わってきませんでした。
だから親も兄弟も親戚も先生も知らないし、私にとって適切な方法を教えられなかった。
環境も身体も変わり続けるから、これからも完全に知ることはないでしょう。
で、痛くなるまでその使い方が身体にはベストじゃないってことに気付かない。
痛くなって初めて、あ!これじゃないのか!って気付きをくれる。
なので、痛みが完璧っていうのは、
痛みがあるという事実が存在として完璧ってことと、
選択(身体の使い方)と結果(痛い)の因果関係が完璧ってことかなと理解しています。
そして、痛みを発見したらそれを変更するチャンスをもらえたということ。
ありがとう!痛み!!
(今日も会社で、いい感じに座り続けられる探求をさせてくれてありがとう!腰痛!と思いながら仕事をしてきました)。
で、何の話でしたっけ……そうそう、「完璧」。
今の私が完璧という話は、
現在の私という結果が、原因(生まれてこの方の全ての選択)に対して完璧に作用したことによるもの、ということを含んでいると思います。
個性やポテンシャルによるものも多数あるかもしれませんが、それを生かす選択も殺す選択も私がしているものです。
歌いたいフレーズやできたい発声のために論理的な方法を練習することで、今こういう風に歌っている、っていうのも完璧ですし、
毎日デスクでおやつを食べてるし特に運動もしてないのに、なんか太った…はて…?ってなっているのも、完璧、です(笑
もとい!
意識的であれ無意識であれ、選択した結果としての「完璧」な自分を受け止める。
その上で何をこれから意識的に選びとっていくのか、「完璧」たる私を変化させていくのか、みたいなことを
Body Chanceのトレーニーや先生たちは毎日毎日あらゆることで実験しつづけて遊んだり学んだりサポートをうけたりしてるのかな、と思います。
さぁ、今日はこれから寝るまでに、何を選ぼうかなー(o^^o)
次回からひさしぶりに身体の構造のこともまた書いてみようかなーと考え中です。
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