音符のならび、それは幻です(!?)

こんにちは。さらです。

楽譜って文字というか言語的な側面があると思うのですが
その文字としての情報・言葉だけの意味にとらわれてるかも?というのが今日のブログです^^

楽譜が言語的だと私が考えるのは、
決まったルール(文法)があって、記載すること・読み解くことができて、再現可能で、ローカルルールが存在して…
みたいな点からです。
で、文章のように紙(媒体)に固定される(記載される)と、
その視覚的な情報やルール・意味などによって自分の考えも固定されがちだなぁと思うことがあるのです。

例えば。
アカペラやアンサンブルで同じ音がならんでいる場合。
横にまっすぐ、とか、ピッチ固定、とか、ずっと一緒だし、とか、感じませんか?
でも、その間にルート音が変わっていたり他パートの音が変わることでコード内での役割が変わっていたりすることの方が
かなり多いと思います。
和音に変化がなくても、フレーズや小節内での意味合いが違うこともありますね。
実際は微細なレベルで全ての音は変わり続けていてほしいはずです。

例えば。
自分の音の跳躍幅が大きい時。
音符間の視覚的な幅に踊らされていませんか?もしくは、実際は跳ばないのに「跳躍」という言葉にだまされてませんか?
次の音がその流れの中でふられた理由をどう解釈するのか、とか
その音程・響きを実現するために必要な物理的な条件や身体の使い方を検討する方が
音楽をする自分のためのより現実的な行動ができると思います。

楽譜に書かれているものは「動かない」のですが
自分がやる音楽は身体も意図もずっと「動き続けて」ほしい。

というわけで、その音符は目印であって、ちょっとした幻であって、
本当に実現したい音楽は自分の身体と解釈が動き続けることで初めて形になっていく
そんな風に思ったのでした^^

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。