ラクをするためにがんばる
こんにちは。さらです。
練習って、兎に角反復!できるまでやる!みたいなイメージがどこかあるように思うんです。
歌の歌詞にもありましたよね。1万回だめでも1万1回目は何か変わるかもしれない って。
この歌、私は大好きですが(そしてこの歌で言いたいことが違うことだってこともしってます)、練習の時にこの手の考え方が有効かというと必ずしもそうでない場合があるのかな、と思っています。
新しいことを始めたり、今までと違う方法を試してみたりしたときに
何度も何度も繰り返しの練習をすることは多々ありますが
本当にそれ、繰り返すことに意味があるタイプの練習かな?と一度立ち止まってみるといいかもしれません。
なぜでしょう?
新しいことってつまりは慣れていないことなので、
感覚に違和感があったり手応えが感じられづらかったりしやすいんです。
(そもそもその「感覚」ってどこまで正確ですか?って話もあるのですがそれはまた今度!)
で、違和感を解消したり手応えを得ようとして力んでしまい、
継続していくうちにその力みによって、やろうとしていた本来の道からずれてしまう
なんてことがままあります。
成功するための方法が不明確とかその認識に誤りがある場合とかでしょうか。
(自己流でピアノを弾いて何度も同じところでつまずき、練習しすぎて腱鞘炎になりかける私がそれです!)
また、本当はできるようになりたくて、成功したくて練習しているはずで
ということは「頑張る」ことは「手段」です。
目的は成功ですよね^^
ここで曲者登場です↓
脳って闇雲に頑張っている時にも報酬系の物質が出るらしいんですね。
例えば腕立て伏せは背中をぐにゃっとしたままやっても意味がない みたいな話があると思うのですが
その方法で筋トレをして本当につけたい筋肉にアプローチできていなくても
筋トレをたくさんやることで「すごくできてる!えらいよ私!」みたいな物質が出るんです。
脳は報酬がもらえるので、「頑張る」ことが「目的」になってしまって
本当にやりたかった筋肉をつけることが達成できていないにも関わらず、たくさんやることがいいことのように感じるようです。
精度を上げたり慣れていくためには反復練習は大概必要です。
なので、その反復は論理的に効果のある反復ですか?成功しそうですか?ということとか
そもそもそれやってて楽しいですか?とか
考えて工夫して勉強してみる時間も、あるとより上達が早いと思います。
1万1回目に成功した約0.01%の確率は、その反復方法で1%に上げるのにどれくらいかかるでしょうか?
(私、もし1万回もハイピッチの発声練習を続けたらきっと声がかれます…)
それを2回に1回は成功できるようにする方法は存在しないんでしょうか?
毎日何時間も同じことをして、故障を抱えて、それでも楽しくその練習ができるでしょうか?
あ!そんな方法もあったんだ!と自分で気付くことができれば素敵ですし、
先生や同志がアイディアや知識をくれることもあるでしょう。
たくさん、使えるものは使って、自分でさらに工夫して、
「楽をして目的地につく」ために「頑張る」。
努力とか頑張りって使いようです^^
で、楽をするためのびっくりな発見をお手伝いできるのが
アレクサンダーの先生なんだよねーと
最近とみに感じています。
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