ピッチに"コミット"する話

こんにちは、さらです。
たまにはアカペラのことを。

正しい音がなんなのかも、今自分が出してる音がなんなのかも、全然わかんないから歌うのをやめる
ということ、アカペラ経験者なら(絶対音感者でなければ)一度は経験があるかなと思います。
プロだってべらぼうにうまい人だって、最初はそういうこと、あったと思うんですよね。
因みに私はよくあります!

譜面を見ながら「この音なに!?」ってなったり
暗譜している場合でも「えっこの音間違ってる!」みたいになったりした時、
一度戦線離脱してコード進行・調性感・他パートの音などを確認しつつ、
すぐまた戻ってくる ということを通常やっているのですが
わからない!ってなった時点で少なからず焦りが生じていたり、間違った自分を責めていたりして
戻ってくる頃には血の気が引いている なんてことがままあります。

そういう時にバックポケットプラン(代替手段)として持っていたらいいなと思ったのが
「ピッチにコミットする」というアイディアです。

以前Body Chanceでジェレミーの授業の際、
自分で多重録音したデータを持って行って、1パートをミュートしてうたう、というのをやりました。
自分で多録しているのでどのパートでもできると思っていたんですが
久しぶりだったのと緊張もあって、ところどころ意味がわからなくなって歌うのをやめた箇所がありました。

その時ジェレミーに
「僕は音楽や歌のことはよく分からないけど、ピッチにコミットしなかったら合ってるか間違ってるか決められないんじゃない?」
と言われて、すごく面白い!と思ったんです。

私の感覚では次の音が「分からない」というのは、
その音が脳内で鳴らない(消える)場合と、鳴ってるものが間違いである確信がある場合と大まかに2種類あって
いずれにしても、「間違っている」から「やっちゃいけない」という不安や禁止とセットになっていました。

よく考えたら、合ってると思って堂々と出した音が
和音的に合わなかったり実音としての許容範囲から外れていることだってあります(^◇^;)
その時は、例えば練習なら
あー間違っちゃったからここもっかいやらせて!と自己申告できるのに
「分からない」音は必ず出さずにやめるのは、間違いを許せない自分や、文句をつける「誰か」への恐怖、分からないことへの不安、なんかだったりするのかな、と。

違うのかもしれないけど、出してみる。
出してみて、その違いを元に、この方向はどうだろう?と実験してみる。遊んでみる。
「コミット」したから決められる方向性や、次回の自分への判断がある。
そういう選択肢も自分の中に置いておいてあげようと思いました。
ついでにその実験の中で、他パートを聞く度合のグラデーションについても
色々遊べそうだなと思うので、そんな話もまた今度書いてみたいと思っています。

まっさらのさら

アカペラーさら(アレクサンダー・テクニーク教師資格取得に向け勉強中!)の日々の発見・気付きをシェアするブログ。